おひとりさまの旅デビュー

おひとりさまの旅デビュー

 8年間営業したカフェを閉じると公表すると、閉店したら何をするのかとよく聞かれ「気ままに車でひとり旅に出たい」と答えていた。いざ仕事を辞めてみると、両親亡き後の実家の整理や、離れて暮らす娘の第2子出産のサポートなど、優先しなければならないことが意外に多く、憧れのドライブ旅行はなかなか実行でないまま3年が経っていた。

 今年5月に古希を迎えると『これからの人生で今日が一番若い日』という言葉が急に現実味を帯び、今が実行する時だと思った。 

 漠然と、日本海が見たい、そして、海沿いに北陸から山陰に足を延ばして石見銀山や、萩にもまた行きたいものだなどと想っていた。学生時代に北海道を一周した時には、泊まった民宿から電話をして翌日の予約が取れたところを目的地にするという旅をしたが、今は、宿泊予約は直前では難しいと聞く。しかし、綿密に計画を立てるのは苦手だし、第一それでは気ままな旅とは言えないではないか、ひとまず一泊で行ける場所に行こう、とかなりハードルを下げて、道中も目的地もあまり混雑していないと思われるところに行き先を絞る。 

 かなり前になるが、新聞の連載小説で、とある大名の縁者の姫君を男装させ、お忍びで江戸から京に送り届けるという話を読んでから中山道が気になっていた。距離的にも遠すぎず、街道沿いに古い町並みが残る奈良井宿なら大型観光バスも大挙して来たりはするまい、と考えて奈良井宿に決めた。 

 

準備したこと、その1 宿泊先の予約

 ネットで検索して観光協会のホームページで宿を探す。写真を見ながら予算内に泊まれそうな宿をピックアップ。旅館や民宿の多くが一室2名様からの料金設定の中、1泊2食付き12,800円(税込)お一人様は+2,000円と明記してある『御宿 伊勢屋』の離れを見付けたので1か月くらい先の予約をする。

 

準備したこと、その2 地図を買う

 グーグルマップでは今一つイメージがつかめないので、ライトマップル「中部 道路地図」1,320円(税込)を購入、また直ぐに使うつもりだ。

 以上の2点でとりあえず事前準備は完了!

 

1日目(17日)

 県外に出るのに高速を使わないのは、初めてかも知れないと思いながら、目的地をナビにセットして、到着予定時刻を確認し出発。20号線を北上して1時間弱、少し早めの最初の休憩地は道の駅白州。

 

〇奈良井宿への道は主にふた通り。

 ひとつは国道20号線の終点塩尻から分かれて中山道(木曽路)を南下する現国道19号線で街道沿いに進めば奈良井宿がある。塩尻から名古屋に向かうJR中央西線が並行して走り宿場の中に奈良井駅がある。

 もうひとつは、塩尻まで行かず岡谷から分かれて飯田に向かう道で、中央自動車道とJR飯田線がほぼ並行して走る。この道を伊那まで行き、そこから権兵衛トンネルを抜けて木曽路(中山道)に出て右折、塩尻方面に少し戻れば奈良井宿は直ぐだ。 

 道の駅白州にてライトマップルを見ながら、権兵衛トンネルを経由するルートに決定し、次の休憩地でランチタイムにしようと決めて走り始める。山道が気持ちいい。

 信濃路に入り伊那の箕輪町を走っていると「ハシャブ」という釜めし屋を見つけた。店名はアラビア語で年輪という意味だそう。釜めし屋なのに、時間がかからなそうな煮カツ定食を注文する。美味しかったけれども、煮カツも、副菜も、みそ汁も、味付けが濃い濃い。あとで喉が渇くだろうと、持参した水筒の水は大切に残して、お店の冷たい麦茶をお代わりしながらゆっくり休憩、窓の外に広がる農村風景に癒される。 

 ここまで来たら、権兵衛トンネルを抜ければ木曽路は直ぐだ。

 “木曽路はすべて山の中である”と藤村も云うように視界に入ってくるのは山また山、だが甲府盆地に暮らして毎日見る周囲の山の風景とは少し違う。ここは広いのだ、山は遠くに見えて、道幅も、家も、隣の家との間隔も、田んぼや畑も、すべてに余裕がある。この地に暮らす人々の経済的な豊かさや気持ちのゆとりのようなものを感じながら奈良井宿に着いた。

 『道の駅 木曽の大橋』に寄り、ここで案内図やパンフレットを入手、この宿場町の歩き方をイメージしながら宿泊先の『御宿 伊勢屋』へ。15時のチェックイン前でも駐車場の利用ができる事と、宿場の中は一般車両通行禁止とあるが、自家用車で入って大丈夫との情報は昨日電話で確認済み。伊勢屋の駐車場に車を停め、荷物を預けて町に出る。さあ、美味しい珈琲が飲めるところを探してひと休みしよう。

 伊勢屋の近くでみつけた『食事処かなめや』の入口で飲物だけでもよいか声をかけると、奥から、好きな席にどうぞと返事があった。お昼時を過ぎていたので先客はひと組だけ。履物を脱いで入口の座敷に置かれたテーブル席に座り珈琲を注文、先ほど入手してきた奈良井宿観光協会のパンフレットに目を落とす。案内図には「文部科学省選定 重要伝統的建造物群 保存地区」とある。珈琲を持ってきた主人が、これもどうぞと、奈良井宿の保存のあゆみや、建築物に関する詳しい説明の載った散策マップをくれる。奈良井宿は全長が約1キロある日本最長の宿場とあり、他に先駆けて昭和43年に官民学連携の町並み保存運動が始まったそうだが、連携の真ん中に民がある、良き。

 地図を見ると、宿場の通りと、現国道19号、JR中央西線、それに奈良井川とがほぼ並行しているのが分かる。

 何気なく格子のあるガラス戸越しに通りに視線を移すと、行き交う人々もまた皆こちらを覗いて行く。昔の旅人もこんな風にして休む処や泊まる宿を品定めしたのであろう。本陣跡があるので参勤交代の大名行列も通ったに違いない。お伊勢参りに行く人と、善光寺参りに行く人々がこの辺りで行き交うこともあったかもしれない。幕末には皇女和宮が京から輿入れで江戸に下ったのもこの中山道という。わずか160年前のことだ。

 

奈良井宿散策

 『食事処かなめや』を出て、東側の塩尻方面へ。奈良井駅のある、先ほど車で寄った観光案内所まで、宿場の町並みを見て歩き、そこから今度は反対側の端にある鎮目神社まで歩いてみる。

 土産物屋(曲物、漆器、木工品、民芸品)、食事処(蕎麦、五平餅、お焼き)、旅館(ホテル、民宿)、ギャラリー、着物レンタル。それに水場という給水所が最低6か所は確認できた。

 看板はあっても現在は営業していないと思しき住居や、休みの店もあるが、どの家も玄関先に手入れの行き届いた鉢植えの花や植栽があり、この町で生活している人々の息吹を感じる。

 

鎮神社から戻り、資料館旧中村家へ。

 資料によると、昭和44年に空き家となった中村家住宅の、川崎市の日本庭園への移設問題が契機となり、保存運動が起きて、その結果、中村家から村に敷地と建物が寄付されたとある。この事がきっかけで奈良井宿全体として町並み保存に繋がったというから、ここは重要な場所だ。

 入口にある『御櫛処 中村屋利兵衛』の看板は櫛卸問屋兼製造所だった証。奈良井宿は、木曽11宿の中で総家数が最も多いにもかかわらず、旅籠の数は圧倒的に少ないという。これには、旅籠を専業にするのではなく、中村家のように、ほかの生業がありながら、大名行列の際には臨時的に旅籠として使われていたという訳がある。

 奈良井宿の特徴は、製造と商いと旅籠の機能を併せ持つ、この中村家のような場所がいくつもあった事と、塗櫛の生産が地場産業の中核であったという事だ。19世紀の当地の住民の職種を記した資料には「櫛商人」「櫛屋」「櫛細工師」「櫛挽」など専門が細かく分かれていたとある、見事な分業体制で、江戸時代のワークシェアリングと言える。やがて、時代と共に女性の髪形の変化もあり塗櫛の産業が途絶えると、塾練職人たちの卓越した技術も失われることになったのか。

 建物の中は片側に表から裏まで通じる土間と1列4室の居室があり、当時のこの地域の町屋の一般的な形態らしい。

 案内の人が、表2階の畳の間は客との商談に使われていたが、来客のない時には畳を上げて漆塗りをしていたので床板には漆の痕跡もあると見せてくれた。このような部屋の使い方といい、建物も必要に応じて旅籠の機能をも果たしていた事といい、臨機応変で合理的な精神に感じ入る。

 2階に展示してあった古い塗櫛と笄は、その昔母方の祖母が嫁入りの時に持参したと言って見せてくれた物と似ていた。あの箱には東京銀座の何某とあったが、作ったのはもしかすると、ここ奈良井宿の熟練工たちだったのかもしれない、などと妄想してみる。

 

~土産物店をはしごする~

 「奈良井宿民芸会館」はこの地域の特産品の木工家具、漆器、曲げ物、が各種あるが、全体のイメージは所謂観光地のお土産屋さん風に、地名の入った、タオルハンカチ、キーホルダー、湯呑み、などが沢山あり、比較的若い観光客が大勢いた。

 道を挟んで向かい側にあるのは「竹泉堂」という一見すると昔のよろずや風の土産物店だ。

 こちらは、竹笊、竹籠、巻き簾、大中小の飯台、など一品物の手作り製品が置いてあり見ているだけで嬉しくなってくる。あけびや、葡萄の蔓で編まれた手提げ籠は、ほかの地域の民芸品店で扱われている物よりはるかに廉価なのだが、補強のためなのか、それともアクセントとしてなのか、持ち手や縁にプラスチックのバンドを使っているのが残念で、数回手にとっては、また戻しを繰り返し、最後に戻して終わる。店内を3周はしたかと思う頃、視界から消えても記憶の片隅に残る物があった。5種類の違う野菜の形をした木彫りの箸置でどこにでもありそうで意外にない素朴な小品だ。箱に『つげ 手彫民芸』と書いた紙が貼られている。つげといえば高級な櫛が思い浮かび、この地域ではよく使われる木なのかとお店の人に聞くと「もうずっと前に仕入れた物なので、覚えていないけれど多分それだけが残った」と身もふたもないような思いがけない返答。その人は私と同年代か少し上くらいの女性だが、購入すると言った時の反応は、意外そうに見えたのは私の考え過ぎか。

 この箸置、家に帰って箱から外して洗いながら、裏側の端の方が少しだけ傾斜を付けて削られているのに気付いた。ほかの部分にも細部に工夫がなされている上、全体がとても滑らかに仕上げてあり、丁寧に作られた物だとわかり、櫛職人の技術が少し前まで生きていたのかもしれないと思った。改めて「つげの木」を調べると、硬いので高級な櫛や、算盤の玉、将棋の駒の材として貴重、とある。これが税込2,200円、良い買い物をした。 

 この買い物に満足したので、宿に戻り夕食前に風呂に入ることにする。

 私の部屋は、母屋から中庭を通って行く新館離れの二階にある。6畳くらいの部屋には踏込みがあって襖の戸がある。布団は自分で押入れから出して敷く。風呂は貸し切り風呂(家庭の風呂くらいの大きさで空いていれば入口を施錠して入る方式)が2か所にある。

 入浴後は夕食の時間まで部屋でパンフレットや地図を見ていると「奈良井宿は大きな災害や大火がなかったので江戸末期の形式を残すことができた」とあったのだが、幸運なだけでなく、ここに暮らす人々の郷土愛が大きいことも忘れてはならないはずだ。

 

「御宿 伊勢屋」について

 江戸後期 第11代将軍家斉の時代 文政元年(1818年)創業の老舗の旅籠で江戸時代は下問屋で脇本陣も兼ねた。

母屋は現在も往時の建物を保ち、奈良井宿式建築の代表的なもの。

(宿のHPと観光協会のパンフレットより)

 

18時、母屋の食堂へ

 宿のH.Pに、木曽山中で採れる山菜、川魚、など豊富な山の幸が自慢とあったので楽しみ。飲物は、せっかくなので、信州産白ワインか冷たい地酒をグラスに1杯欲しかったが、ワイン、地酒は瓶、ビールも大瓶のみ、唯一の小瓶はノンアルコールビールだったのでこれに。

 ~おしながき

  • きのこの盛り合わせ
  • 信州サーモン(鱒)のカルパッチョと生野菜
  • 安曇野産ワサビドレッシング
  • 信州産紅鱒のから揚げ
    食べた感じはから揚げというよりも甘露煮に近い
  • 木曽平沢 豆腐工房野口の冷奴 伊勢屋製山椒味噌
    豆腐が甘くて良い香り(味噌は美味いがなくても良い)
  • 地元野菜の煮物
  • 里芋・大根・蒟蒻・凍み豆腐
    野菜に出汁が染みていてじんわり。凍み豆腐は普通の凍豆腐よりもコクがあり、歯触りも違うので揚げてから煮たものと思われ、聞くと、やはりそうだった。コクを出すためというよりは煮崩れを防ぐのが目的らしい。
  • 木曽路産 蕨のお浸し 
  • 揚げ茄子の自家製味噌田楽
  • 酢の物
  • 胡瓜・糸寒天・信州名物塩烏賊・蕗
    塩烏賊というのは山国ならではの保存食なのか。
    甘酢の加減が実に良い。
  • 塩尻名物 山賊焼き
    名前の由来は、山賊は「取り上げる」から「鶏揚げる」で鶏唐揚げなのだとか
  • 信州産長芋ときのこの茶碗蒸し
    滑らかな舌触りと、やさしい味付けにほっとする
  • 山かけ信州蕎麦
    山かけも蕎麦も美味しい、既に満腹に近い
  • 御飯 白米 安曇野産こしひかり
    炊き方が上手で、米だけで十分美味しいが、漬物や、豆腐についていた山椒味噌とも良く合う
  • 味噌汁 自家製信州味噌
    淡色味噌、良い香り
    隣のテーブルが海外からの旅行者と思われる家族連れだったので意識したのか、今更ながら味噌とご飯の組み合わせは最強だと思った。近くで作るお米と自家製味噌の組み合わせをその土地で食す満足感は大きい。
  • 自家製漬物盛合せ
    こちらも美味しいのだが少し残す
  • 野沢菜の天ぷら
    うーん満腹、ほんの少し残しましたごめんなさい
  • デザートは抹茶寒天ゼリーだが流石に今は無理なので、部屋に持ち帰って後で食べたい旨伝えると、小盆を用意してくれた。 

 

夜の『木曽の大橋』大冒険

 食事の時、宿のスタッフからわざわざ「木曽の大橋」のライトアップがとても綺麗なのでぜひ観に行ってください、と案内されていたのを思い出し、それではと行ってみることにする。

 再び中庭を通り、母屋のフロントに部屋の鍵を預けた時には、思っていたよりも雨が降っていた。宿の人に勧められて、私の傘をそこに預け、宿の大きい傘を貸りて外に出る。雨足が激しくなり通りを行く人はいない。

 線路伝いに1キロ弱、雨が降っているので歩き難いし、道が暗いので、水溜りを避けながら歩くので時間がかかる。「木曽の大橋」は最初に寄った道の駅の所にある。雨で視界不良のためライトアップが綺麗なのかよく分からないのだが、アーチ型の木橋を渡って川の向こう側に行ってみることにする。

 あとから思い返せば、ここでも引き返すことはできたのだが。

 ガイドブックには、樹齢300年の木曽檜づくりで橋桁のない橋としては有数の大きさを誇り、橋の下部の木組みからは匠の技が垣間見えるとあった。

 アーチ型の木橋は暗くて階段がよく見えない、雨で濡れているので細心の注意を払って登り始めるも、どうやら踏込みも踏面も高さ長さが変化しながらアーチのてっぺんに向かっているらしいと気付く。向こう側に降りる時の下り坂は更に滑りそうな気がする。雨が激しくて写真も撮っていられないが、ようやく向こう岸に降り立ちその辺りを少し歩き廻る。その時、ライトアップの時間は21時頃までとどこかで読んだのを思い出した。降りしきる雨の中、渡る人はもちろん、近くを歩いている人すらいない。通常より早めに照明が消える可能性がある、と思い慌てる。一刻も早くこの橋をもう一度渡り向こう側に帰らないと、とんでもなく遠回りをする羽目になる。更に、万が一渡っている途中で急に暗くなったら最悪だ。急げ、とばかり木曽の大橋をもと来た側に向かって渡り始める。片手に傘を持ち、空いた手は欄干につかまりたい、その時、急に下の川の水が流れる激しい音が大きくなった。ゆっくり橋の真ん中を歩くことに腹を決める。こんな時に一番危険なのは恐怖心だと自分に言い聞かせ、ライトが消えるかもしれない事も覚悟して、一歩また一歩と慎重に。

 滑って転んで弾みで万が一にも下に落ちたらニュースなる。

「観光に来ていた老婆、行方不明、橋から落下か」

 無事に宿に帰りついた時は、心底もう一度お風呂に入りたいと思ったけれど、両方とも使用中だったので諦めて着替えをした。

 布団を敷き、お湯を沸かして熱いお茶を啜る。 

 

2日目(617日)は朝から雨

 7時半、昨夜と同じ母屋の食堂へ。

 引き戸を開けると、入口の3人は昨夜と同じインバウンドの旅行客で両親と3歳くらいの女の子が既に食事をはじめていた。目が合うとにっこりしたので「グッモーニン」というと皆さんそれぞれ「グッモーニン!」と返してくれる。

 日本人客とは控えめに互いに目礼のみ。

 朝食メニュー

  • 南瓜煮物・山蕗・糸昆布佃煮・山山葵(やまわさび)の葉の酢の物・ほうれん草お浸し・淡竹(はちく)煮物・牛蒡のきんぴら・山椒味噌・漬物・梅干が盛られた見た目も美味しそうなプレート
  • 向付  卵焼き・焼き鮭・味付け海苔
    旅館の朝食の定番ながら焼き物が冷えきって硬くなっていないのが嬉しい
  • 小鉢 山菜ミズを茹でて佃煮昆布と和えた物
    「ミズ」は、初めて聞く名前で思わず聞き直した。茎も葉もシャキシャキとして水菜とは少し違う食感。珍しいので買って帰りたいと思い、直売所の場所を聞くと「今あるかなー」と言いながら「道の駅 木曽ならかわ」を教えてくれた。 
  • ヨーグルト自家製ブルーベリーソース
  • フルーツ バナナ・オレンジ
  • 白米・味噌汁
    フルーツとヨーグルトはおかずではない食後のデザートにしよう、と別のテーブルに用意された珈琲を淹れてきて一緒に頂くことに。

 珈琲を味わっていると、お隣の3才くらいの女の子がフルーツを食べなさいと言われているのが聞こえてくる。昨夜もそうだったが、「座っていなさい」「大きい声を出さないように」「もう少し食べなさい」と穏やかに繰り返し言って聞かせる両親にも、そして半分椅子から降りかかっていても、また座りなおす女の子にも好感が持てた。そして、退席するこの家族と「ハーバーナイスデイ」「サンキュ」と挨拶を交わし女の子とバイバイした。

 先ほどから、右隣の男性二人連れは今日の予定を相談しているようだ。昨日はゴルフで今日名古屋方面に帰るらしいのだが、道路の状況やこのあとの雨の降り具合などを少し私と話した後、宿の人に高山で美味しい飛騨牛が食べられるお店を聞いている。昨夜も今朝の食事も、わたしはほぼ完食。こちらの二人連れはかなりお残し。その向こうのテーブルの女性3人のお残しは更に多い。女性客は食が細いのか、お腹いっぱいで食べられないと言うのが聞こえた。男性客も満腹とは言っているが野菜が苦手なのか肉が好きなのか、たぶんその両方か。

 料理のメインとなっていた山菜は、素材も珍しく、自生している物を採集しているようだが、その様子や下ごしらえの手順などを想像するだけでも楽しく、合わせる調味料の割合や味の加減に感心したり納得したり興味は尽きなかった。

 

チェックアウト 「道の駅 木曽楢川」へ

宿によっては原則二人からしか予約できないところもあったので、受け入れてもらえた事へのお礼を言うと、「うちの宿はお一人様が多いですよ、特に女性と海外からのお客さまですね」とのこと。

 それでは需要もあるだろうと調子に乗って、「しいて言わせて頂くとですね、夕食のドリンクメニューにもう少し小さいサイズのアルコールをご用意いただくととても嬉しいです。ビールなら小瓶、ワインや冷酒ならグラスで」とお願いしておく。 

 降りしきる雨の中、昨日来たのと反対の方向「道の駅 木曽ならかわ」目指して塩尻方面へ。荒天にも関わらず店内には買い物客がいた。

 

道の駅 木曽ならかわ

 一番の見どころは併設されている「木曽くらしの工芸館」の木曽檜を使った漆塗り展示コーナー。工程の説明と共に、その時に使う道具が展示されているので分かりやすい。長野オリンピックの時に漆器で作られたというメダルがあったのには驚いた。漆器の販売コーナーには伝統的な箸やお椀などの製品のほかに、塗りのコーヒーカップなど現代風のデザインの器や花器もあり、時間を忘れて引き込まれる。誘惑に負けそうになりながらも、大変な思いをして、ようやく実家の整理を終えたばかりの身であることを自らに言い聞かせながら、専ら目の保養と割り切って鑑賞する。 

 ここは塩尻ワインの品揃えが長野県随一とあるが、地酒のコーナーも充実していている。その名も「中乗りさん」「木曽のかけはし」「七笑」と面白い。この地ならでは「そば焼酎」もある。

 七笑(ななわらい)まったりとコクがあるのに後口のキレは絶妙、純米酒でありながら辛口の極みは蔵の自信作~というラベルの裏にある説明文に惹かれて購入。ワインは生協でも購入している(株)アルプスの普段は取り組みのない、塩尻産コンコードの赤と信濃リンゴのシードルを。 

 ところで私が購入する基準は、価格が手頃であることが大事なポイントになるのだが、ワインの値段は何が根拠になるのだろう。原料になる葡萄の出来栄えか、寝かせる時間の長さなのか、高級ワインは製造工程が違うのか、価格に比例して2倍、3倍美味しいと感じる基準は万人に共通なのか、日頃から高価なワインに親しんでいると違いが分かってくるのか、疑問は尽きないがチャレンジする勇気がない。

 農産物及びその加工品コーナーには、菓子類、漬物、カレーやスープにチーズ、ここも楽しい。

 ふとしたご縁で、この一年ポタージュスープを開発する人たちの中に居たという事もあり、レトルトパックのとうもろこしのスープを購入する。面白いことに原材料がシンプルで余計な物が入っていない商品の方はパッケージデザインがシンプルではなかった。スマートな第一印象が好みなのだがと思いながら手に取り、裏面の原材料などの内容を確認する。商品の顔にもなる一番大事なところに情報を詰め込む必要はない。中身と外側のミスマッチというかイメージギャップに戸惑う。

 残念ながら、今日は火曜日で食堂とレストランが定休日らしい。そのせいか、大雨のせいか、出荷されている農産物はあまり多くない。お目当ての「ミズ」もなかった。果物は少しあったが、一見して山梨県内の直売所の方が品数、品質共、圧倒していた。

 そんな中で見つけた間引き大根は、わさわさと新鮮な葉をたっぷり付けた20cm位の大根が数本入って¥70。見た瞬間に「大根も葉も一緒に煮浸しにしたらきっと美味しい!」とかごに入れ、ここでの一番の収穫に大満足。調理例が浮かんだ時には迷わず即買い。生産者の中野秀治さま、ありがとうございました。

 ほかに、開田高原のモッツアレラの味噌漬け、わさび大根、固形氷もち、木曽牛カレー、信濃路名月餅、玄米珈琲……ほか。親しい人へのお土産も自家消費分もチャレンジ可能な予算は、自ずと単価が1,000円前後になっている事に気付く。

  止みそうにない雨に急かされるかのように帰路についた。

 

~終~

 

 

※ このあと帰り道にある「シルクファクトおかや」~岡谷蚕糸博物館~ に立ち寄る。見応えがあって中身の濃い見学のお話はまた別の機会に。

 

この記事を書いた人

R🎗B

還暦で生まれ変わり10歳になる
今年の目標はおひとりさま旅行にデビューする事

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