うしろ姿に涙する
父が亡くなり、7月で14年になる。
元気になって退院すると思っていたので、ひと通り手続きを終わらせたあとの自分が結構堪えている事に気が付いた。
初彼岸を済ませてからは、努めて実家の整理に精を出す事にした。
まず、家中のタンスや押入れから衣類を出して、使える物とそうでない物を分ける。特にこれからの季節に使えそうな冬物を選び出してクリーニングに出したり洗濯したりしながら、叔父、従兄弟、知人……と思い浮かべながら、仕分けしては先方の意向を聞いて送ったり、持参して使って貰うようにした。
最後にかさ張るコートやジャンバーの類いが残ったけれども、これらは皆ひとつあればいらないだろうと行き先をどうするか思案した。
ちょうどその頃、教会で開催している食事サービスに時々手伝いに行っていた。
そこに食事に集まる人々は、身なりに無頓着というか、余り余裕がないように思われたので、使って貰えるか担当者に相談してみた。ぜひ持って来るようにと言われたので、次に行く時に段ボール箱に入れて運び込んだ。
運び入れた衣類は、デザインも素材もさまざまなら、新しい物と古い物も混在していた。
担当の人が、食事が済んだら帰りに好きな物を持って帰って良いと言うと直ぐに集まり、互いに誰にどれが合うか、当てて見たり着てみたりしながら選んでいたかと思うと、皆そのまま着込んでご飯を食べ始める。
そして、食事を済ませたあと、帰るために三々五々出て行くその人たちの後ろ姿を、何気なくぼんやり見送っていたその時、想像もしていなかった事が自分に起きた。
溢れる涙に気がついたのが先だった、そしてすぐにその理由を悟った。
秋も深まり暗くなりかけた教会の庭に、そこにもここにも、懐かしくて堪らない後ろ姿の父がいたのだ。
そして、これは神さまからのギフトに違いない、と涙を拭う私がいた。
この記事を書いた人
R🎗B
還暦で生まれ変わり10歳になる
今年の目標はおひとりさま旅行にデビューする事
冒頭の写真:UnsplashのStefan Kunzeが撮影した写真